石戸と申します。
かの孔子いわく、天命を知るという五十代も半ばにさしかかります。
天命なんてどこに?
もしかしたら、あのこと?
それとも、このこと?
いやいや、そう簡単ではないですよ。
そうお叱りを受けそうで。
そもそも、こちとら老子の思想が肌に合う。
上善は水の如く。
これこそ我が理想。
さて、神戸港発のフェリー、さんふらわあに愛車を乗せて大分へ。
なぜって?
たぶん興味はないでしょうけど、訊いていただきありがとうございます。
あわよくば、天命を知るために。
けっきょく、そこかい!

古事記は多くのことを教えてくれます。
なかでも、天照大神(アマテラスオオミカミ)の、天の岩戸伝説は示唆に富む。
まずは宮崎は高千穂にある、天の岩戸神社へ。
ただ、ここは天照大神ではなく、天鈿女命(アメノウズメノミコト)を推したい。
彼女は、失意にあった天照大神の自信を取り戻させました。
やはり、今も昔も、相手の良いところを見なければ、人の心をなぞることは出来ないと告げているようです。

熊本は、阿蘇パノラマラインへ。
大自然、山あいを悠然と流す。
阿蘇山の山頂。
大げさではなく、大地の息づかいが聞こえてくるよう。
じっさい、火口は絶え間なくガスをもうもうと吐き出す。
思わず後退りするほどの恐ろしさ。
これを目の当たりにすると、日常の茶飯事とは何ともちっぽけだと叱責されているようです。

熊本県庁にワンピース、麦わらの一味、モンキー・D・ルフィーに会いに行く。
銅像なのに、覇王色の覇気を醸し出しているよう。
俺の仲間になれ!
やはり名言。
歪曲した解釈なんぞ、あるはずもない。
けっきょく、誰と何をしたいか。

鹿児島は、知覧特攻平和会館へ。
かつて経験したことのない、とてつもない衝撃を受ける。
息子と同年代の若者が、どんな気持ちで飛び立っていったか。
娘と同年代の若者が、どんな気持ちで彼らを見送ったか。
自分と同年代の親が、どんな気持ちで彼らを見送ったか。
そして、残された者が、どんな気持ちでその後を生きていったか。
遺書や手紙の言葉のひとつひとつ、どれも心の奥深く突き刺さる。
涙なしには見ることなど出来はしない。
散華した彼らのことを思うと、生きている者に何が出来る?
立ち止まってはならない。
離陸する時や場所、理由を間違えてはならない。
後悔など何もないようにしなければならない。

この程度で天命を知ったなど、とても言えません。
ただ、誰かに必要とされるならば、可能な限り、全力で応えよう。
そう自分に呼びかける。
これって、もしかすると!?