第3営業部のTKです。
和歌山県にある道成寺を訪ねました。
以前から気になっていた「安珍と清姫伝説」の舞台。境内に立つと、伝説の重みと仏の教えが静かに広がっているのを感じます。
■ 安珍と清姫の物語
熊野詣の途中、一夜の宿を借りた僧・安珍に一途な想いを寄せた少女・清姫。
想いは届かず、裏切られたと知った清姫は怒りと悲しみに満ち、蛇に姿を変え、鐘の中の安珍を焼き殺してしまいます。
「安珍と清姫」の物語は、歌舞伎や浄瑠璃の世界でも重要な題材として発展してきました。
その情念の深さ、変化(へんげ)、幻想性は、古くから舞台芸術で繰り返し描かれ、今日でも上演されています。
その結末は衝撃的ですが、人の心にある執着や孤独の深さ、そして感情の暴走がもたらす悲劇を静かに問いかけてくるようです。
■ 千手観音と「何も持たない手」
本堂には千手観音像が安置されています。
無数の手には剣、数珠、蓮華などの法具が握られ、それぞれが人々の苦しみに応じた救いを象徴しています。
その中にひとつだけ、何も持たない手があることに気づきました。
これは仏教でいう「空(くう)」の象徴。
何かを与えるのではなく、ただ黙って受け止めるための手。裁くでも教えるでもなく、ありのままを包み込む手です。
清姫の苦しみに、もしこの手が差し伸べられていたら——そんなことを考えさせられました。
■ 住職の説法より
参拝中、ご住職の説法を聞く機会がありました。
「執着や怒りの心は誰にでもある。問題は、それを自分で見つめられるかどうかです」との言葉が印象に残っています。
物語や仏像は昔のものに見えて、実は私たちの中にある心の動きそのもの。
道成寺での時間は、感情に向き合い、自分を見つめ直す機会となりました。
物語と教え、祈りが混ざり合う場所。道成寺は、心を落ち着かせ、静かに振り返る時間をくれる特別な空間でした。
また時間が経てば、ふと思い出して足を運びたくなる、そんなお寺です。